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日々に出会った美を追求していく!

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ジーナ2

                   三
 
 京王線府中駅構内で待ち合わせをした。会うとすぐ、待った? と彼女が聞いてきた。私が軽く首を振ると、前に歩み寄ってきて、「良かった」とはっきりした口調で言った。毎週木曜日が休みよと歩みを速める。毎週木曜日、私の公休日なので、会いたい時に会えるなと思った。北口を出て、ペデストリアンデッキを歩いてすぐ左に見える階段を降りる。少し歩くと、左側にスパゲッティー屋がある。ジーナはスパゲッティーが好きだというので、あらかじめ調べておいたのだ。
 彼女はナポリタンで、私はイカとタラコのスパゲッティーを注文した。
結婚しているの? と聞くと、別れたと勢い口を大きく開けて笑った。
「フィリピン人と結婚したの?」
「日本人よ」
「えっ、誰?」
彼女は言い辛そうに答えた。
「ちーの、ちーの」
「シフト表に書いてある千野さんという人ね。でも、あれは」
と私は語気を乱した。ジーナは首を振って、しぃーと人差し指を唇に当てた。
フィリピンのミンダナオ島に住んでいる家族には、三十二歳の兄、二十八歳の弟、十四歳の娘がいる。仕送りしたお金で買ったコンバインの上に、家族全員が腰を掛けて、手を振った写真入りの手紙が、先日、ジーナのもとに送られてきたそうだ。三年近く帰っていない実家の庭には、何が植えられているのか気にしていた。ずっと前に、フィリピンの実家に戻ったときには、栽培が簡単なトウモロコシでも生えているだろうと思ったら、黒い土が寒々と敷かれているだけなので、頭にきて泣いてしまったらしい。
「日本から帰ってきたことがすぐ近くに住んでいる人の噂になるのね。次の日には、家に来て、お金ちょうだいって言うのよ。それで首を振ると、つまらなそうに首をかしげて帰っちゃうんだけど、それが、一人や二人じゃないの。何人も来るから疲れちゃう」
「お父さんは何の仕事をしているの」
「何もしていないよ。前に警備員の仕事をしていた。でも危ないから辞めたの」
「危ない?」
 ジーナは親指と人差し指で銃の形を真似して、「向こうはこれだから」、次にトンカチで叩くように手を動かして、「日本はこれでしょ」
 フーベルト・ザウパー監督の『ダーウィンの悪夢』という映画で、タンザニアの漁業研究所で働くラファエルという警備員が紹介されていたことを思い出した。先に猛毒が塗ってあるという矢を束ねて持っている。前任の夜警者は襲撃され、胸を刺されて死んだ、そのおかげで私が今、一晩一ドルで働いているとカメラの前で話していた。暗闇の中の薄明が、下に向けられた矢の羽を微かに照らしている。夜警は血走った目で笑み一つこぼさなかった。黒目は黒カナブンのように輝いていた。
「何もしていないのに、暮らしていけるの」
 私は手に持ったフォークの先を口に近付けて、食べる真似をした。
「だから、私が働きに来ているのよ。向こうには仕事がそんなに無いの」
「お兄ちゃんも弟も結婚しているというけど、何か仕事をしているんじゃないの」
「バイクに乗って、後ろに人を乗せて、ちょうだい」
 と彼女は卓上に手を差し出した。
「タクシーのようだね」
 ジーナの背中越しを通った中年の男と女が、私の顔をチラと見た。しばらくしてから、また、おそらく二十代中頃のカップルが同じように視線を向けてきた。私が顔を気付いたように上げると、すぐに目を逸らす。それから通る人…… 同じことの繰り返しであった。
ダーウィンの悪夢』では、タンザニアビクトリア湖に生息する巨大魚ナイルパーチが輸出用に工場で加工されているシーンがあった。その残りの粗が捨てられる裏山に、工場の自動車が来ると、黒人の女性がカラスのように群れ集まっていた。くるぶしには米粒ほどの白い虫が無数によじ上っている。アキレス腱はひび割れて、木の枝のように露わだ。そこにいくつも雫が垂れていた。 
ジーナは目を大きくして不思議そうに私のことを眺めている。
「あれっ、食べないの?」
「あんまり食欲が湧かなくて……」
裏山に散らばる白骨の上を歩く女性達に、彼女は全く似ていない。南国の海の浜辺を、裸足で駆けるような明るさが、彼女の笑顔にはあるのだ。それなのに何故、黒人の女性が心に像を結ぶのだろう。
「食べたいけど、お腹がいっぱいよ。ごちそうさま」

 その後、カラオケボックスに行った。私はジーナの肩に手を伸ばし、キスしようとした。すぐ様、その手は払いのけられた。彼女は横に勢いよく倒れ、振り向きざま、どうしたのと冗談っぽく笑った。私はまた肩に手を伸ばそうと思ったが、彼女に、入れなさいと次の選曲を促されたことで断念した。白けたムードになり、歌う気がしないで、ソファーの端に退けた。ジーナは眠そうに目を細めて、選曲本が二冊とブルームーンの注がれたサワーグラスが置かれている机上を、じっと見つめていた。
「入れなさいね。入れなさい」
 言葉には、あきらめにも怒りにも似たものがカクテルされていた。
 サワーグラスにブルームーンがなみなみと注がれている。サンゴ礁のある海のように表は微かに青く、奥まるほどに濃厚な青である。時を刻む針の音が聞こえてくるようだ。
「何よ」
 ジーナは、後ろに結わえた髪をほどいて、まとめて左肩の前に持ってきた。髪の先を両手で手持ち無沙汰にいじっている。私の顔を見るなり、真剣なまなざしになった。
「ごめん……、美人だったからつい……、どうして日本に来ることになったの」
「スカウトされたの。百人の中から選ばれたの」
 と自分の顔を指差した。微かに口元から笑みがこぼれた。
「本当に綺麗だよ」
 ジーナは顔を顰めた。上半身を前に倒して、こう言った。
「何? 外国人の友達が欲しいの?」

                   四

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