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日々に出会った美を追求していく!

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ミッドライフ・クライシス(中高年の危機)、自分は無価値だ!

ミッドライフ・クライシスという記事がyahoo newsで流れてきた。ヤフコメには、ミッドライフ・クライシスとか、第二の思春期なんて新しい言葉を作らなくても、昔から「更年期」と呼ばれているし、新しい言葉を使い始めると、過去の研究や情報を当たれなくなるので、マスコミは新たに売上が上がって喜ぶけれど、苦しんでいる人は得られる情報が減るので、言葉の再定義はほどほどにと書かれていた。

私は、更年期という言葉をつかう時、なんだか、つかうだけで衰えを感じ、やる気がしなくなる。ミッドライフ・クライシスと言うと、そうなんだとプラスの気分に転じられた。別段、悪い気がしない。以前、「近くのものを大切にできない人について」の記事で書かせていただいたが、意識によって人間は形づくられるものであって、失敗という言葉ではなく、部分的成功と言うことで前向きになれると書いた。↓
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新しい言葉だからこそ、マスコミが飛びつき、改めて、みんなが更年期を自覚する手がかりが出来るともいっていいし、ヤフコメ民には、示唆を与えられるコメントは多いけど、論理的帰結が弱いという欠点がある。私のブログが、そうであるかというとこころもとない。いまだに、他人の借り物言語で話している感じが抜けない。一生、物まねをし続けて死ぬだけなのか? 悲しくて涙が出てくる。これが、ミッドライフ・クライシスなのか。
エビデンスに溢れ、結論には、E=mc2という相対性理論のような単純かつ奥が深いというのは理想であるが、人生に一度だって、これだけの方程式をみつけることができたら幸いである。

これから先の人生を考えた時、仕事がうまくいかない時、なんとなくいつもなど、きっかけがなくても虚無感に襲われるという声も多く寄せられたとあって、世の中の半数ほどがあるそうだ。その中でも、人生の残りの時間が短くなっていくことに焦燥感を覚え、人生の停滞感を感じ、何をしてもワクワクしないという方が多いと、心理カウンセラーの下地まいこさんが話をしている。

それを払拭したいという焦りから、ギャンブルやお酒、不倫、突然の退職やリスクのある起業など、突発的な行動をとってしまう方も少なくない。そのような行動は、これまで築いてきた人生を崩壊させ、取返しのつかない事態になりかねない。私の上司も、49歳で突然会社を辞めて、居酒屋をなんの計画も立てずにはじめ、1年もたたずに潰してしまい、現在、借金とりから逃げて、沖縄に潜伏しているという。

ヤフコメでは、49歳が人生で最も苦しい年齢だと述べている。私は現在43歳であるけど、両親も高齢でいつお別れするかわからない状態だし、介護も明日から始まるかもしれない。ずっと仕事と自宅での読書等に追われてきたから、お金は生活に困らないぐらいは溜まっている。贅沢をすれば吹っ飛ぶだろうけど、物欲がほとんどなく、性欲と食欲、知識欲だけがあるといった感じで、高級ソープと週一のスシローがあれば、欲は一応満たされる。

しかし、昨今、異常なほど、人生の焦り、何もない自分が認められないという苛立ちが募っていた。SNSに触れていると、人生を損しているようだと思えたり、難しい本を読んでいたら逆に、こんなことをして、現実を忘れることの方が無意味に思えるようになったり、右往左往、左顧右眄してる。努力する限り迷うものなのだと言い聞かせても、フラストレーションは満たされないのだ。

でもこの心理カウンセラーの下地まいこも、ぼんくらではない。この停滞感を払拭するには、リスクのある行動ではなく、日常生活の中で無理なくできることから始めてみてはいかがでしょうか? と問いかける。これは、女性の発言で、三つ葉のクローバーに憧れた女子生徒といったニュアンスを出ないと指摘をする方もいるだろう。私もうさんくさいとは思う。でも、自分の人生を振り返ったり、少しでも興味のあることの情報収集や、リスクを抑えた副業など、そうした行動を起こしてみて、新しい自分と出会った時、ワクワク感や充実感につながるかもしれないと励ましてくれる。

ブログを毎日書くと決めたのも、ミッドライフ・クライシスを乗り越えるためと考えると、自分に向き合う気持ちが湧いてくるものですね。疾風怒濤の思春期を、ノートに日記を書きなぐり続けたように、私は、少しでも、みなさんに自分の気持ちを伝えて、日記ブログは受けないといわれるけど、クオリアを共感できるようにしていきたいと思う。

意識を理解した似非科学に騙される人達!私のこと。

朝起きて、また悪しきネットサーフィンが始まった。知りたい情報をずっと調べていられるから、はまってしまうのだろう。学校の授業は、つまらないことも、聴かなきゃならない苦痛というのがあって、でも、それによって我慢や辛抱するという人生にとって必要なことを学んだともいえるので、私は、堀江貴文の主張には、その点において反対である。もちろん、堀江貴文のようにクリエイティブな仕事につける方は、そのような人間でなければならない。しかし、みんなが起業できるほどの力があるわけでなく、適材適所ということで、一部のエリートを創造する教育であれば、HIUで行っていることは間違いではない。

茂木健一郎youtubeで、意識のことを問題にあげていた。人間の脳幹にチップを埋め込み、コンピューターに移せば、意識は永遠に生き続けて、不老不死も近いという言説に対して、真っ向から否定していた。ネイチャーに掲載されたその理論においても、意識を研究する学者23人から、似非科学であるという声があがるほど、無謀な理論であったらしい。それは、小保方さんのスタップ細胞であり、試験管で水だけで核融合反応を起こすことができることであり、そのような問題と同列ぐらいの内容で、あきれる話だということだ。↓

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茂木健一郎がいうところ、意識の問題を解明するには、今現在、すべての学問が意識にかかわっていて、その分野で最高の知識を必要としていて、なおかつ、それでもわからないというのが、人類の現在地であるという。アインシュタインニュートンに匹敵するか、その2人を足してもいいぐらいの功績になる、ノーベル賞30個でも足りないぐらいというから、大変なことなのだろう。以前、私の記事で、川上量生が意識は実装できると豪語したことを、取り上げている。↓
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面白いこともいうものだ。釈尊の悟りの境地に達するまでは、25の段階があって、今は、10ぐらいじゃないか。そして、意識を取り上げた研究は、永遠に続く青天井だということだ。

私は、何故、意識について、これほどまでに、しつこく考えるのだろう。このブログの題名nyoraikunも大日如来から採用した。ブログのアドレスも、https://www.大日如来参上.com/というのも、曼荼羅の中央に位する大日如来からとったものだ。人間を大本で多くの手をあげて理解を示す仏、瀬戸内寂聴の人間曼荼羅というのもあったが、人間の心のありよう、意識のありようについて、永遠不可知の人間性に対して、答えをだそうとする努力が、私の人生の定義となりうるものだと、意識せずに認めていたことだろう。

茂木健一郎に、そう言われて、私は、視界が開けるような気がして、今日の朝は、気分が良い。
電車のガタンゴトンという音を、数字で表せないと思いついたところから、彼は、クオリアをひらめいたようだ。赤は赤であるという、この赤にまつわる感覚、月の裏に一角獣がいると聞いた時の、意識の志向性というものがなんであるのか。グラビアで惹かれる女性はなんたるか。先日、私がブログで書いた、自宅近くのツツジの花から、万葉集の死者を弔う詩にまで意識が旅をする不思議が何であるか。→
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動画では、プルーストの『失われた時を求めて』の話が、紅茶に角砂糖を一つ入れてマドレーヌを口にしたところから、過去の思い出が意識され、その一つ一つに、記憶がからんでくる。

幸福になるには、何かを得ることでなく、自分の中にある記憶を探ってみてはいかがだろうかというくだりは面白い。私もクオリア言語化しようと、無限に続く階段を上っていく。それは、また、みなさんも――

贅沢は可能か? バーベキューにて思う!

スーパーで働いていると、この時期、バーベキューにつかう商品を買いにくるお客が多い。正月、節分、雛祭り、子供の日、母の日、ゴールデンウィーク、土用丑の日と、催事があると、それに関わる商品がとびきり売れる。私の育った環境だと、幼い頃、クリスマスになるとご馳走がでるし、プレゼントが貰えて贅沢ができるから、楽しみにしていたけど、中学に入る頃から、イベントだから何かあるということがなくなった。

クリスマスにチキンとケーキを食べ、正月におせち料理を召し上がるということぐらいはしているけれど、ほぼ一年中、日常生活の連続だけで過ぎていく感じだ。少し生活レベルが上がると、少しの間、楽しくて幸せになるけれど、簡単に慣れてしまう。当たり前になっていくことで、さらに上の生活レベルでなければ、幸福感が湧いてこなくなる。この理屈で、日常生活の連続であると感じているだけかもしれない。

古き良き思い出ほど、幸福感に溢れているのは、そのためだろう。エロ本を初めてみたのは、竹藪を切り裂いてつくった秘密基地なるものに、ゴミ同然の落とし物を持っていくことを、友人と手分けをして初めて、ふと週刊誌が開いて落ちているのを目にした時に、1ページのうちに、女性のヌード写真が8人ぐらい載っていったのである。最初は、見るたびに、刹那、快感が脳裏に走る。悪いものを見たと思って、目をそらした。また、自分の目にうつしてみせると、今度は、身体に快感が走る。これは癖になりそうだと、不安になり、それを手にして、秘密基地に持っていくのをやめにした。

この女性のヌードに触れた最初の記憶が、忘れられないほど、快感を伴って、いまだに思い出される。もうあの快楽に達することはないかもしれない。初めて、女性のヌードを生で見て、興奮したのは、小学校5年生の時に、体育の授業の着替えを、男女同じに行うのだが、振り返ると、好きだった女性が、裸でいた。胸が膨らんでいて、それを彼女自身も不思議に思うのか、周囲に見せて笑っていた。無邪気なものであり、近くの男子が、やめた方がいいよと注意していたけれど、彼も、私と同じく興奮していたのだろう。

男女は、変わらないと信じていたのに、宮沢賢治著の銀河鉄道の夜におけるジョバンニとカンパネルラのように分かれていく、悲しい体験でもあった。自分は、彼女とは違う、彼女は、他人なのだと……。

バーベキューを目的に、天然むきえび、赤海老、ほたて貝、肉各種を大量に買っていく客。それも、信じられないぐらい品質にこだわりがあって、安いだけでは全然ダメで、美味しいというのが大前提だ。私はいつも食べることにおいて安物に慣れていたことは悪くないかもしれない。舌を贅沢にした方が、商売をする上では絶対条件であるけれど、あらゆる贅沢になれてしまうと、かえって生活が苦しくなるということも考えられる。
スポーツカーを2台持っている社員もいて、稼いだお金を、理想とする生活に捧げるのだろう。私は、小説家になりたかったから、内的世界をいかに言語化できるかのためにしか価値がないから、本ばかり増えてきたけれど、何度書いても、同じ知的世界に過ぎない。作家は処女作にむけて成熟するというのは、みんな、自分の視野の限界を世界の限界だと思っているだけなのかもしれないけど、私には、20年もこんなことをし続けて、限界を感じている。

柳井正の『経営者になるためのノート』を読んでいて、上述したことを商売に活かす言葉が、著述されていた。
――お客様は厳しい。
なぜ質の基準にこだわるのでしょうか。
それは、やはり「お客様は厳しい」からです。
自分の身に置き換えて考えてみると、すぐに分かることだと思いますが、お客様というのは、一度あるものを手にしたり、体験をしたら、そこが基準になります。
そして次からは、その基準でものを見ていきます。
さらには、その基準ではものたりなくなっていって、より高い基準のものを求めるようになります。そして、それを満たすものに出会うと、乗り換えていきます。
このようにして、お客様の方の基準がどんどんあがっていくのです。

商売は心理学だという。経営者ノートを読んでいると、心理学の本を読んでいるようだ。

ツツジをググると万葉集の魂に触れ、キンモクセイは、職場の加齢臭問題にゆきつく不思議!

ウクライナが、また米国からの追加支援をもらい戦争を継続するらしい。負けるわけにもいかないし、勝たせるわけにもいかないという支援の仕方が、支援というのか疑問である。西側諸国とロシアの間に、ウクライナがあることの方が、クッションになっていていいというのもあったのだろうけど、戦争になったのだから困ったというのが実情なのだろう。

能登半島地震の復興支援へ1389億円の税金がかかるということ、ガザの病院敷地内から200人の遺体が出てきたということ、米利下げは市場暴落シグナル「ブラックスワン」ファンドが指摘、不倫で大問題だった広末涼子が爽やか最新ショットで復活をアピールしていることが、本日のyahoo newsの話題である。

色々と、このご時世の話題を書き殴ってみたが、私には、あらゆるものの値段が高くなっていく現状に辟易しているぐらいで、日常は何も変わらない。遠い世界の人を考えても、日々の仕事における役割を守って、週に一度美味しいものを食べてを繰り返して生きていくだけで精一杯である。

自宅前の太陽を求めてピンと張った活きのいい葉を目にした。日々、鮮魚を目にして働いているが、神の創造した葉一つにも、偉大な神の働きを感じる。この葉に惹かれ、私は、すぐさま、yahoo知恵袋に質問をした。隣の生垣に目を移すと、白い炎のようにふわっと意味ありげに存在している花がある。これも、写真を撮り、同じく質問をした。

花の名称の答えはすぐにでた。つつじである。地下から根を通じて養分を吸って自発的に呼吸をして、これだけ精巧な花を咲かせている。つつじが丘駅が京王線にあるけれど、駅から見える光景は、東京郊外でひかえめだけど華やかな印象をもっていた。花言葉が、慎み、節度、節制、自制心、努力というもので、どこかおしとやかな印象がある花の名前にあった街づくりをしてきた思いが、私の心の琴線に触れるのかもしれぬ。

風早(かぜはや)の美保(みほ)の浦廻(うらみ)の白(しら)つつじ見れどもさぶし亡(な)き人思へば
訳(風早の美保の浦の白つつじを見ても楽しめないことだなあ。亡くなった人を思うと…)

この詩が出来た経緯↓
姫島の松原で行き倒れになっていた娘子に「風早の美保の浦の白つつじを見ても楽しめないことだなあ。亡くなった人を思うと…」と詠い掛けて、その死を悲しみ悼んだ挽歌となっています。
万葉の時代、死は穢れであり死者のいる場所にはその怨念が居ついて人々に災いを為すと信じられていました。
それゆえに、このように旅の途上で行き倒れの死者に出会った時には、自らに災いが振り掛からないようにかならずその死者の魂をなぐさめる挽歌を奉げてから通りました。
この歌が風早の美保の浦で詠まれたものであるのなら、よく似た景色の中で姫島の松原の死者の無念を思い出してふたたび鎮魂の歌を奉げたといったところでしょうか。

姫島の松原とされた場所↓

万葉集の時代には、死者には怨念がとりついていて人々に災いをもたらすと信じられていたというから、やはりわからないものを恐れる心理は、我々現代にも通底していて、死の側から今をみることができれば、きっと世界中の人達が戦争のは馬鹿らしいと理解できるはずなのに、知るよしもない。この詩を音読してみると、昔の人は、言葉を今の数倍も大切に扱っているなぁと感心する。言霊があるなぁと思う。私はブログで沢山書きなぐってきたけど、魂はあっただろうかと自問自答せざるをえない。

不思議だなぁ。自宅前にツツジを目にしたところから、ググり続けると、万葉の頃に生きていた人の魂に触れることになるなんて……。魂はあるかないか? あるに決まっているじゃないか! ツツジを見て、愛をささやいたこともあっただろうし、私が幼い頃に、おさなじみとツツジの花にとまる蝶々をつかまえるために遊んだことがあった。その女性とは、29歳の時に、私が一方的にハガキを送りつけ、デートにこぎつけて、結果、お付き合いすることにまで発展したのに、別れてしまった。理由は、私の一方的なわがままによる。

葉の名称を質問していて、たった今、回答がきた。キンモクセイである。9月~10月にオレンジ色の花をつけるそうだ。樹高が5~6メートルで、花の香りが名高いそうだ。秋の代表的な植物のひとつらしく、造園業の人が、マンションの前に植える木として、秋の訪れを感じさせるこの木を選んだのだろう。会議で話している人がいたのだろう。その気持ちに気づかずにいた。近くにあるものでも、配慮に気づかない人間の浅ましさが、私にも多分にある。もっと勉強して、人よりも多くの心を知ることができるようになりたい。しかし、職場の人達は、現場労働者なので、基本的に無学である。より浅ましい人達に見えてきて、話が合わなくなるのではないかと不安になった。

キンモクセイは、低血圧の改善、不眠症、健胃作用、口臭を予防が期待できるそうだ。身近な医学もここにある。キンモクセイの橙色の濃い花は香りが強く、行きは秋の香りを胸一杯に吸い込んで1日頑張り、帰りはほのかに漂う甘い香りに癒されてみてはいかがですかと、日本薬学会が進めている。職場に、腋臭の人、加齢臭の人もいる。普遍的人間性を頼りに、より良い社会をすすめていくことが、ダイバーシティなのか疑問はつきないけれど、私が、多数派であることを祈って、秋口になったら、キンモクセイの花の芳香を、心おきなく胸一杯に吸い込んでやろうと思う。

月を見つけて、焼肉味ん味んで食べてわかること!

仕事を終えて、夜空を見上げると、お月さまが煌々と輝いていた。何度見たのかわからないほど、見慣れた光景である。すぐ頭に浮かんだのは、数年前に骨折をして、仕事もできず、夜中に、自宅近くを散歩していた時に、夜空を見上げると、同じく、満月であった。以前は、ピッカピカの満月、今日は、おぼろな満月である。骨折していた頃の月と比べると、今日は、五体満足で、身体も別段悪いところがないから、幸福感が湧いてくる。

焼肉味ん味んという焼肉屋が、八王子の各地にある。注文すると、どれもボリュームがあって、肉質も値段の割にまぁまぁいい。ホルモン系が売りの店だったというのもあって、牛ホルモンは実にうまい。プロ野球のない毎週月曜日は、休みの前日というのもあって、外食で、我ながらプチ贅沢なるものをしてきた。この頃は、スシローばかりになっていたけど、今日は、久しぶりに、焼肉にした。体重計にのると、この頃、基準体重より、2kgほど少ないから、肉を食べて、少し太ろうと考えた。

隣には、4人家族で、30代に入るか入らないかぐらいの女性と赤ちゃん、50歳ぐらいの男性、高校生ぐらいの男性が1人であった。父親が再婚したということだろうか。高校生ぐらいの男性が、どこか浮いているようで、1人邪魔になっている気がするのかもしれぬ。挙動が少し不審である。女性は、目を大きくして、彼と応対している。ちょっと困っているといった感じだ。その一家?が帰る時、女性が、抱いている赤ちゃんに、元気かなと、赤ちゃん言葉で問いかけている。赤ちゃんは、顔が笑顔になっているようにも見えた。この頃から、愛情を注いで育てているものなのだと今さらながら驚く。私の記憶の無い中で、愛情豊かに接してくれたのだろうということが、頭に浮かんでくるような気がする。

それも、数年前に見上げた満月や、今宵見たおぼろ月夜のように、いつもあるようでなく、いつもないようであるものに思えるからだろう。その後に、隣の席に入ってきたグループは、40代ぐらいの無理に若作りした男女と、職場の同僚だろうか、きちっと背広で決めた爽やかで顔をした普通の男性である。どうやらカップルではないらしい。話し方に距離があるし、メニュー表を、女性が手にして、勝手に注文する勢いだ。あまり仲が良さそうに見えなかったけれど、注文もスムーズにまとまり、手慣れた印象を受ける。職場の同僚だろうか? と思い浮かぶのは、仏頂面でありながら連携がとれているなあという感想からくるものである。

焼肉が焼きあがるたびに、特性ダレにつけて、口に流し込む。脂が多いほどではないが、ぷりぷりして厚みのある身肉がたまらない。噛むとじゅわぁっと旨味が、口もとに拡がっていく。いつも、混雑している店内も、空席がちらほらだ。外食でも、雨が降ると客数減になるのは変わらない。来週の月曜日は、果たして何を食べにいけばいい!

フードワンでオペラ歌手の生き様に出会う!桜の花びらのように!

毎日、ブログを書くことを自分に課していたが、自分の経験を書かないといけないと思うようになった。知識なんて、どこにでも書かれているものだから、行動により得た何かを伝えること、その内容に価値を感じてもらわねば、ツイッターのリプライ機能の方が、数倍面白いことになる。日記ブログではダメだというけれど、実感が常識を突き破るぐらいのものになれば、大切な時間を割いて、目を通してくれている方へのご恩返しになると考えることにした。

今日、仕事終わりに、フードワンのスーパーマーケットに立ち寄ることにした。自動車のフロントガラスに、桜の花びらが1枚とまった。薄紅色が綺麗で、内側が濃くて、外側にいくほど薄くなっている。レンゲショウマの花びらに薄紅をひいたように儚い。青梅の桜並木で、1枚の花びらを、見つめていた老婆は、今頃、天国にいるだろうけど、その魂は、どこにいったのかと脳裏にひらめく。この記憶は、いったいどこからきて、どこにいくのだろう。

何度も美しさを写真におさめようとしたけど、花びらを感知しないのか、鮮明になるのは、向かい側になる自動車と、スーパーの文字ばかりだ。三島由紀夫の『鏡子の家』に書かれていた、童貞の画家が、精神が危機的になり、ニヒリズムの沼に落ち込みそうになった時、救いだしてくれたのは、1本の水仙の花であった。その描写が浮かんできて、無性に読みたくなった。

すべてが虚無に属する物事は、ああも思われこうも思われるという、心象のたよりなさによって世界が動揺する、その只中に現われるものではないだろうか。僕の目が水仙を見、これが疑いもなく一茎の水仙であり、見る僕と見られる水仙とが、堅固な一つの世界に属していると感じられる、これこそ現実の特徴ではないだろうか。するとこの水仙の花は、正しく現実の花なのではないか。
 そう考えた僕は、一瞬言おうようない気味のわるさにかられて、花を寝床の上に放り出そうとしたぐらいだ。僕にはその花が急に生きているように感じられたのである。

夕食を買いに、フードワンに入る。海鮮丼を買ってみた。夕方作り立てということで、鮮度がとてもいい。美味しかった。キリンビールを売るのに、今田美桜の等身大のパネル。これも桜のように美しい。

そして、極めつけは、ビーフシャリアビンステーキである。これは、美味しい。身がやわらかく、玉ねぎとトウモロコシが、甘味を香ばしくする。

wikipedia シャリアビンステーキとは↓
当時歯痛もしくは入れ歯の不具合に悩まされていたシャリアピンの、柔らかいステーキが食べたいという要望に応えて、帝国ホテル「ニューグリル」の料理長だった筒井福夫により考案された[1]。
肉を柔らかくするためによく叩いて薄くした牛肉をタマネギのみじん切りに漬け込む料理法が特徴である。タマネギに含まれるタンパク質分解酵素の作用で肉が柔らかくなるとされている。筒井はタマネギを使用する調理法の発想を、すき焼きから得たという説もある[3]。

スーパーで買い物するだけで、これだけの感動があった。今日のわかったブログというのが、一時期流行っていたけれど、本日も、たった数分だけでも、これだけのわかったが、世の中にあることがわかった。明日は、どんな感動と、どんなわかったがあるだろう。It Gets Better(イット・ゲッツ・ベター)

朝礼で従業員の理想を唱和する意味を、考えたのは、今から92年前のことなんだ!

yahoo news smartnews newspicks、他、古今東西の本を開いても、皆同じことあかり言っているように思えてきて、何かわからなくなってきている。すべてが表面を変えることに過ぎず、難しい科学式を用いてロケットが出来て、人類が月や火星だけでなく、太陽系を超えて、人類の世界を拡張できたとしても、人の心の奥深くに眠るものは、容易で解決できそうにない。私の悩みは、社会をより良いものに変えよう、みんなでいい生活をしようという明るい企業家精神のあるものではなく、人間の心の奥深くにある深淵を覗きたい願望からきている。

MBA必読書50冊の中に出てくる幸之助論の中で、松下幸之助は、奈良の天理教の施設に入った時、みんながお金をもらうわけでないのに、イキイキと働いているのを見て、ピンときたとあった。お金以外に、社会貢献がしたい、よりよく人のためになる生き方がしたいというように、スピリチュアルなものを人間はもっていて、そういう気持ちで働けるような職場環境にしていかなければいけないと考えたそうだ。

それから幸之助は、毎朝、従業員に、遵奉すべき精神をまとめ、唱和させた。
「人は時に弱い本性の奴隷になるが、高い目標を掲げ毎日考えれば、人は一歩一歩それに近づき、より良い、より幸福な人間になれる」
7つの精神というものを考えた。
1、産業報国の精神 質の高い製品とサービスを適正価格で提供し、社会全体の富と幸福に寄与
2、公明正大の精神 公正と誠実を旨とし、常に先入観のない公平な判断を心がける
3、和親一致の精神 相互信頼と個人の自主性を尊重し、共通目的を実現する能力と決断力を涵養する
4、力闘向上の精神 逆行でも企業と個人の能力を向上、永続的な平和と繁栄を実現する企業使命を達成すべく努力する
5、礼節謙譲の精神 常に礼儀正しく謙虚であることを心がけ、他人の権利と要求を尊重することで環境を豊かにし、社    
         会秩序を守る
6、順応同化の精神 自然の摂理に従い、常に変転する環境条件に合わせて思想と行動を律し、あらゆる努力で徐々に、     
         着実な進歩と成功を収める
7、感謝報恩の精神 受けた恵みや親切には永遠の感謝の気持ちを持ち続け、安らかな喜びと活力をもって暮らし、真の   
         幸福の追求の過程で出会ういかなる困難をも克服する。

これを、もっと話しやすい内容にして唱和させたのかどうかはしらないけれど、スーパーで働いていると、いかに大切かが理解できる。放っておくと、近くのものを悪くばかり言うようになり、被害者意識にこりかたまり、自分勝手に行動しようとする。松下電器ほどの社員になると、レベルが高いというものあるけれど、スーパーは、何もスクリーミングされずに、沢山の人がスクリーミングされずに入社してくるので、この習慣は徹底するべきだなと感心した。

米国で企業価値宣言を初めて書いたのは、ジョンソン・エンド・ジョンソンの「我が信条」で、1940年代だから、幸之助は10年先んじていた。我が信条における内容は、ざっくり言って4点ある。第一に顧客に対する責任をおき、第二に従業員への責任、そして第三に地域社会に対する責任においている。そう考えると、朝礼で唱和している内容は、世界中、どこもあまり変わらないのだなと思える。

冒頭でお話した、何をみても、何に触れても、似たようなもので、ある特定の専門書を読んで、専門家になれば、変わるものかなと考えたり、職業に特化した本を極めるばかりに論文を出すぐらいやれば、視野が開けてくるのか、この歳で東大入試に受かるほど勉強して、脳を過度に刺激すれば、私の頭は、何か変わるのだろうか。スマホ片手に世界とつながる情報化社会、知識社会に生きていると、行動力ですべてが決まってくるともいえる。ただ行動あるのみなのか。

小説家になりたいから、仕事をやめて、小説を書きまくるとか、海辺で釣りをした人が、それを捌いてあげる仕事とか、考えた、即実行していたら、ホームレスになりそうだ。AIが出てきてから、小説も、近い将来、AIに抜かれるだろうなとも思える。すべての大脳における知的能力は、AIの独壇場になるんだろうなというのはわかる。

それにしても、スーパーを含めた小売事業は、発注にかかる時間がやたら多い。レギュラーの発注なんか、今すぐにAIに置き換えられるだろうし、いずれは、売場にAIカメラがついて、売上単品データ等のPOS情報もよみこみ、すべてAIがやることになるのは確実なのに、いつになったら、現実に、そのような環境になるのだろう。小売業のシンギュラリティ―はいつになるのか? 10年以内に、一般企業に導入できるぐらいになるのかしら……

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阪神タイガース・プロ野球・スポーツ